”同じ釜の飯を食う”の精神性
- 裕平 土井

- 6月27日
- 読了時間: 2分
こども食堂がもたらす実利と精神的な影響
こども食堂には、目に見えやすい事や実感を得やすい感覚があります。
まず、目に見える事として、
・食事や食料品の提供
・学習支援
・相談支援
などだと思います。
実感を得られるものとして、
・利用者の笑顔や感謝の言葉
・場の盛り上がり
などかなぁと思います。
私はこの分かりやすい実利的な所に目がいきがちだった気がします。
あまり良くないのかもしれないと思ったのは、実利を求めると”イベント化”することでした。
相手にすぐに喜んでもらうためには、上記に挙げた分かりやすい物を渡そうという気持ちが出てしまい、大事な精神性を忘れてしまいがちでした。
※この考えは私の作るこども食堂の考え方であり、大きな支援団体などはモロに多くの困窮家庭を支援しているため、即効性のある実利が必要な場合があります。あしからず。
精神性とは何か。
今回は”同じ釜の飯を食う”
以下、チャッピー
■ 語源
昔の日本では、家族や仲間が一つの釜で炊いたご飯を“共同”で食べるのが当たり前でした。 同じ釜のご飯を分け合うという行為には、
生活を“共同”している
喜びや苦労を“共同”で乗り越えている
時間を“共同”で積み重ねている
といった意味が自然に含まれていました。
この習慣から、 「同じ釜の飯を食う=共同生活や共同経験を通じて結ばれた仲間」 という表現として使われるようになりました。
つまり、
こども食堂で同じ空間と時間に、同じ食事、動作「いただきます」をすることが、人間にとって分かりにくい共同体の感覚を得られるのだと思います。
多分、この感覚は今この瞬間では感じられないのかもしれません。
時間が経って、大人になって、ふっと振り返った時に「あの場所が良かったな」と気づくのです。
それは、同じ釜の飯を食うことによって得られた共同体としての感覚から基づくものなのかもしれません。

”見える実利と分かりにくい精神性”この組み合わせを意識することが大事ですね。








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